「Partial Rapture」は日本語で「部分的携挙(ぶぶんてきけいきょ)」または「部分携挙説(ぶぶんけいきょせつ)
クリスチャン – 第3巻〜第7巻は、初期(1925年〜1934年頃)発行の
月刊 霊的雑誌 『クリスチャン』(基督徒報) に掲載されたメッセージや解説を収録であります
中でも 『ウオッチマン・ニー全集』第6巻「クリスチャン(4)」は
ウオッチマン・ニーは、キリスト者が日々の生活を勝利して歩むためには、「神のタイムライン(終末の計画)」を正確に理解し、キリストの再臨に備えることが不可欠であると考えていました。この巻には、彼が当時(1920年代後半〜1930年代初頭)に、欧米の優れた聖書学者たち(ジョン・ネルソン・ダービーやG.H.ペンバー、ロバート・ゴベットら)のディスペンセーション(時代区分)主義的な預言研究を深く咀嚼し、彼自身の独自の霊的洞察を加えて語った注解や講義が収められています。
以下に、第6巻のさらに詳しい内容をテーマ別に解説します。
1. ディスペンセーション(時代区分)と神の救済計画
ニーは聖書全体を一貫した「神の計画のタイムライン」として捉えるため、時代区分(ディスペンセーション)を明確に解説します。
- 神の4つの時代: 律法のない時代、律法の時代、恩寵(恵み・教会)の時代、そして来たるべき王国(千年王国)の時代。これらを正しく区別しないと、聖書の預言を読み誤ると警告します。
- ユダヤ人、諸国民、教会の区別: 終末の預言を読む際、「イスラエル(ユダヤ人)に与えられた約束」と「不信の諸国民(世界)への裁き」、そして「キリストのからだ(教会)」の運命を混同してはならないという原則を徹底的に教えます。
2. キリストの再臨(パルーシア)と「携挙(けいきょ)」の時期
この巻の最もディープで、彼の神学の特色がよく表れているのが「携挙論(空中携挙)」に関する研究です。
- 部分携挙説(勝利者の携挙)の提唱: ニーは、教会(信者全体)が一堂にパッと同時に携挙されるという一般的な見方ではなく、「目を覚まして用意ができている勝った信者(勝利者)が、大患難の前にまず初穂として携挙される(前患難携挙)」という説を支持し、詳しく論証します。
- 大患難を通過する信者: 一方で、救われてはいるものの、この世を愛し、肉のままで歩んでいる「生ぬるい信者」は、大患難の中に残され、そこで練られてから(大患難の終わりや中頃に)収穫として携挙されると説きます。これが信者たちに「今、目を覚まして用意していなさい」という強い切迫感を与えました。
3. ダニエル書とヨハネの黙示録の解き明かし
終末預言の二大巨頭である「ダニエル書」と「黙示録」のシンボルや数字について、非常に細かく、緻密な注解が行われています。
- ダニエルの「70週」の予言: 人類史のタイムライン、特に最後の「第70週(7年間の大患難)」がいつ、どのように始まるのかについての構造的な解説。
- 獣と反キリスト: 終末に現れる「大淫婦(宗教的・偽りの教会システム)」と、世界を支配する「キリストに敵対する政治的リーダー(反キリスト)」の正体についての解釈。
第6巻における「終末のタイムライン」の構造
第6巻でニーが提示している、終末に向けた主要な出来事と信者の運命の対比を分かりやすく整理します。
| 終末のステージ | 出来事の内容 | 信者(クリスチャン)の2つの運命 |
|---|---|---|
| 大患難の前 | 終末の兆候、世界の不法化が進む。 | 勝利者(初穂): 目を覚まし、世から聖別されていた信者は、大患難が始まる前に「空中へと携挙」され、主の前に立つ。 |
| 大患難の期間(7年間) | 反キリストの登場、前例のない天変地異と神の怒りの裁き。 | 生ぬるい信者(収穫): 地上に残され、大患難の苦しみを通して信仰を精錬され、後に携挙される。 |
| 患難の終わり〜 | キリストが聖徒たち(勝利者)と共に地上に再臨される。 | 千年王国での報酬: 勝利者たちはキリストと共に王として1000年間統治する(生ぬるい信者はこの報酬を失う)。 |
第6巻は、ウオッチマン・ニー全集の中でも最も「聖書研究(アカデミックかつ霊的)」の色彩が強く、単なる「慰めのメッセージ」を超えて、
ニーが若き日に心血を注いだ「聖書の予言(預言)と終末論」に関するディープな聖書研究の記録であり
聖書の文字一つひとつに隠された神の意図を掘り起こそうとした
ニーの驚異的な聖書知識と洞察力が結実した一冊である。
そこから、導き出された彼の1つの答えに 部分携挙説 があります
ニー全集一期の第6巻 終末論の最大の核心が「勝利者の携挙(部分携挙説 / Partial Rapture)」です。
これは「イエス・キリストを信じた人は皆、大患難の前に自動的に一斉に携挙される」という一般的な前患難携挙説とは一線を画す、
ニー独特の深い霊的洞察に基づいた教えです。彼が聖書からどのようにこの真理を導き出し、信者に何を求めたのかを掘り下げて解説します。
1. 「勝利者の携挙(部分携挙説)」の基本概念
ニーは、信者の「救い(永遠の命)」と「携挙(報酬・王国の統治)」を明確に区別します。
- 救いは恩寵(恵み)、携挙は従順(行い)による: イエスを信じた人は全員が例外なく救われ、地獄に行かず天国(新天新地)に入ることができます。しかし、大患難の前に空中へ引き上げられる(携挙される)のは、救われた信者の中でも「目を覚まして勝利を得ている少数の者(勝利者)」だけであると説きます。
- 命の成熟度が基準となる: ニーは「成熟した実だけが最初に収穫される」という農業の原則を用います。霊的に成長し、肉や世を処理してキリストの命に満たされた信者だけが、最初の「初穂」として携挙される資格を持ちます。
2. 部分携挙説の主要な「聖書的根拠」
第6巻のなかで、ニーはいくつかの決定的な聖書の箇所を挙げてこの説を論証しています。
① マタイによる福音書24章(二人の男、二人の女)
「そのとき、二人の男が畑にいると、一人は連れて行かれ、一人は残される。二人の女が臼をひいていると、一人は連れて行かれ、一人は残される。だから、目を覚ましていなさい…」(マタイ24:40-42)
- ニーの解釈: ここに登場する人々はみな「畑にいる」「臼をひいている」という日々の生活を共にするクリスチャン(兄弟姉妹)です。不信者が畑で働いているわけではありません。信者でありながら、目を覚ましていた「一人」は連れて行かれ(携挙)、油断していた「もう一人」は残されると指摘します。
② ルカによる福音書21章(脱出する資格)
「しかし、あなたがたは、これから起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、絶えず祈りつつ、いつも目を覚ましていなさい」(ルカ21:36)
- ニーの解釈: 「逃れる(大患難を免れる)」ためには、絶えず祈り、目を覚ましているという条件(資格)が必要であるため、すべての信者が無条件で携挙されるわけではないと結論づけます。
③ ヨハネの黙示録3章(フィラデルフィアとラオデキヤ)
- ニーの解釈: 兄弟愛に満ち、主の言葉を守ったフィラデルフィアの教会には「全世界に臨もうとしている試練の時(大患難)から、あなたを守ろう」(黙示録3:10)という免除の約束があります。しかし、生ぬるいラオデキヤの教会にはその約束がなく、むしろ「口から吐き出す」=地上に残されて取り扱われると解釈します。

3. 「初穂」と「収穫」のタイムライン
ニーが描く、終末における信者の2つのグループの動きは以下の通りです。
| グループ | 聖書的シンボル | 携挙のタイミング | 地上での運命・霊的状態 |
|---|---|---|---|
| 勝利者 | 初穂 (黙示録14:1-5) | 大患難の前 (最初の携挙) | 畑の中で最も早く熟した実。日頃から世を愛さず、十字架の処理を通過し、主との深い交わりの中にいた信者。大患難を完全に免れる。 |
| 生ぬるい信者 | 収穫(大集団) (黙示録14:14-16) | 大患難の中、または終わり (後からの携挙) | 救われてはいるが、地上に未練があり未成熟な実。大患難という「烈日(激しい試練)」にさらされることで強制的に成熟させられ、後から刈り取られる。 |
4. ニーがこのメッセージを通して伝えたかったこと
ニーがこの部分携挙説を強調した最大の目的は、神学的な議論に勝つことではなく、当時の信者たちに「聖なる危機感」を持たせることでした。
多くのクリスチャンが「一度信じたから、いつ再臨が来ても自動的に天に引き上げられてハッピーエンドだ」と安易に考えているのに対し、ニーは「地上に残されて大患難を通るという、目を覆いたくなるような失敗(王国の報酬の喪失)があり得る」と警告しました。それによって、信者たちが今すぐ古い生き方を捨て、今日という日に主のために生きる(奉献する)よう、強烈に促したのです。
ウオッチマン・ニーの全集の一期20冊中の前半10冊のうち、5冊も使われている クリスチャン
だけど、タイトルが クリスチャンといわれても 何が書いてあるのか予想しづらい
そして、調べてみたら とくに多くの人が関心で持つであろう内容が収録されているのが
1つの携挙説を、しるしてある クリスチャン 4 の第6巻だったので、最初に触れ書きました。
『ウオッチマン・ニー全集』第3巻「クリスチャン(1)」
3巻のクリスチャン1は、20代前半の若さで発行し始めた霊的雑誌『クリスチャン』の
最初期のメッセージ群です。
この巻の核心は、「人間はどのようにして完全に救われるのか」という客観的な真理(贖い)と、
「救われた信者が最初の一歩をどう踏み出すか」という主観的な経験の2つが、非常に緻密かつ情熱的に語られている点にあります。
さらに詳しい内容を、いくつかの重要なテーマに分けて解説します。
1. 救いの確信と客観的な真理(贖い)
ニーは、多くのクリスチャンが「本当に自分は救われているのだろうか」と感情や行いに左右されて揺れ動く問題を解決しようとします。
- 感情ではなく「事実」に立つ: 救いは人間の反省や熱心さ、あるいは「救われた気がする」という感情に基づくものではなく、キリストが十字架で成し遂げられた客観的な事実(完了した事実)に基づいていることを徹底的に説きます。
- 二重の救い(罪の赦しと命の付与): 単に地獄に行かない(罪の刑罰からの救い)だけでなく、キリストの復活の命が信者の内に分与されることこそが救いの完成であると位置づけます。
2. 信仰の初期段階における基本的な霊的認識
新しくイエス・キリストを信じた人が、最初につまずかないための「霊的インフラ」を整えるメッセージが多く含まれています。
- 罪の処理と告白: 救われた後も犯してしまう罪について、どのように神の前に告白し、良心の平和を保ち続けるかという具体的な実践法。
- 古い人と新しい人(二つの性質): 信者の内には、アダムから受け継いだ「古い性質(肉)」と、キリストから受け継いだ「新しい性質(霊)」の2つが共存しており、これらがどのように葛藤し、どのように霊の命によって歩むべきかを解説します。
3. 『クリスチャン』誌ならではの独自テーマ
この第3巻(クリスチャン1)から始まるシリーズには、ニーのその後の神学の土台となる非常に重要な視点が含まれています。
- 「世(ワールド・システム)」からの分離: サタンが構築したこの世の仕組みや価値観から、キリスト者がどのように霊的に聖別(分離)されるべきかという強いメッセージ。 [1]
- 聖書の預言への導入: 基礎的な真理を語る一方で、ダニエル書や黙示録につながる「神の救済の歴史(ディスペンセーション)」の基礎知識を若い信者に授けようとしています。
まとめを比較する
第3巻における「救い」と「歩み」のバランスを分かりやすく表にまとめました。
| アプローチ | テーマ | 信者が捉えるべき核心 |
|---|---|---|
| 客観的な真理 | キリストの贖いのわざ | 自分の状態に関わらず、十字架の事実は完璧であり、神の言葉(聖書)の約束によって救いは絶対に揺るがないという確信。 |
| 主観的な経験 | 日々の信仰の歩み | 内なる新しい命(霊)に従うこと、罪を即座に対処すること、そしてこの世のシステムから聖別されること。 |
第3巻は、ウオッチマン・ニーの代表作である『正常なキリスト者の生活』 や『霊・魂・体(キリスト者のなかの人間)』につながる「命による救い」の原点が最もフレッシュに語られている一冊と言えます
『ウオッチマン・ニー全集』第4巻「クリスチャン(2)」
前巻に引き続き、ニーが主宰した初期の雑誌『クリスチャン』のメッセージをまとめたもの
この第4巻の最大の特徴は、第3巻で培った「救いの確信(客観的な真理)」を土台として、
「それをどのように日々の実生活(主観的な経験)に落とし込むか」という、キリスト者の歩みの実践に焦点が当てられている点です。ニーは、信仰を単なる理論や知識にとどめず、
神との生きた交わりと従順によって毎日を生きることを強く求めます。
以下に、第4巻のさらに詳しい核心的な内容をテーマ別に解説します。
1. 聖書研究と「預言」の深化(黙示録の七つの教会)
この第4巻には、ニーの聖書解釈において極めて重要とされる「ヨハネの黙示録2章〜3章に登場する『七つの教会』」についての詳細な注解・メッセージが本格的に収録されています。
ニーは、この七つの教会を単なる過去の歴史的教会としてではなく、「キリストの初臨から再臨に至るまでの教会全体の歴史的変遷の預言」として解き明かします。
- エペソからラオデキヤまで: 初期の愛を忘れたエペソ、迫害下のスミルナ、世と妥協したペルガモ、カトリックの腐敗を表すティアティラ、プロテスタント改革とその後の霊的死を表すサルデス、兄弟愛の回復であるフィラデルフィア、そして人の意見が支配する現代のぬるい教会ラオデキヤ。
- 勝利者(オーバーカマー)への召し: 教会全体が堕落していく中で、神の御言葉に聞き従い、個人的に勝利を得る者(勝利者)への報酬と励ましが熱く語られます。
2. 「神との交わり」の実践(祈りとみ言葉の生活)
キリスト者が実生活で勝利を収めるためのエンジンとなるのが「神との交わり」です。
- 生きた交わり: 毎朝、神の前に静まり、御言葉(聖書)を通して神の声を聞くことの重要性を説きます。これは、後に彼らの間で非常に大切にされる「朝毎の復興(モーニング・リバイバル)」の精神の原点となっています。
- 祈りの働き: 祈りは単に自分の願い事を神に叶えてもらう手段ではなく、「神の御意志が地上で成し遂げられるために、人間が神と同労する最大の働き」であるという、深い祈りの概念が提示されます。
3. 「十字架の従順」と自己の処理
神との交わりが深まるにつれ、信者は自分の思い(魂)と、神の御意志(霊)との衝突を経験します。
- 絶対的な従順: 自分の知性や感情が納得いかなくても、神の主権と御言葉に対して「はい」と従うことが、霊的な成長の絶対条件であると語られます。
- 環境を通した取り扱い: 日常生活の中で起きる困難や人間関係のトラブルは、神が信者の「外なる人(肉・自己)」を砕き、内側のキリストの命を解放するために備えられた「環境の取り扱い」であるという、ニー神学の真骨頂とも言える教えがこの時期からすでに芽生えています。
第4巻の主要な対比構造
第4巻でニーが強調している「信仰の実践」の本質を整理します。
| 実践の領域 | 陥りがちな危険(肉・世) | 本来あるべき姿(霊・従順) |
|---|---|---|
| 教会の歩み | 人間の伝統、組織、世俗化に流される(ラオデキヤの状態)。 | 個人的に主の言葉を聞き、初めの愛にとどまり勝利者となる。 |
| 日々の生活 | 自分の知性、感情、意志(魂の力)で自力で頑張る。 | 十字架の原則を受け入れ、神の主権に全面的に従順になる。 |
| 霊的な交わり | 形式的な祈りや、知識を蓄えるだけの聖書読みに終始する。 | 御言葉を通じて神の心をキャッチし、神の御意志を地上で行うための祈りを捧げる。 |
第4巻は、若き日のウオッチマン・ニーが、当時の中国のキリスト者たちを「名ばかりのクリスチャン」から、
「日々の生活でキリストを生きて表す実践的な信者」へと引き上げようとした、非常に力強いメッセージ集です。
『ウオッチマン・ニー全集』第5巻「クリスチャン(3)」

クリスチャンの3は、ウオッチマン・ニーの生涯と神学において極めて重要なターニングポイントとなる
「キリストのからだ(教会)」の真理が本格的に展開され始める巻です。
第3巻で「個人の救い」を学び、第4巻で「個人の従順とキリスト者生活」を通過した信者が、次に進むべきステップとして「共同体(教会)としてどう生きるか」が論じられます。ウオッチマン・ニーの核心的なビジョンである「主の回復(教会の本質の回復)」の青写真がここに提示されています。
以下に、第5巻のさらに詳しい内容をテーマ別に解説します。
1. 「キリストのからだ」という有機体(オーガニズム)の認識
ニーは、教会を単なる「人間が集まる組織(オーガニゼーション)」や「礼拝を行う建物」としては絶対に捉えません。
- 生きた有機体: 教会は、頭(かしら)であるキリストの命を共有する信者一人ひとりが、手や足、目となって構成されている「一つのからだ」であることを強調します。
- 相互依存の原則: からだの器官が単独では生きられないように、クリスチャンも個人主義を捨て、他の信者と結び合わされ、互いに供給し合わなければ霊的に健全に成長することはできないと説きます。
2. 「地方教会(ローカル・チャーチ)」の実行の芽生え
この時期、ニーは聖書が示す教会の本来のあり方を熱心に模索していました。のちに彼の代名詞となる「地方教会の原則(一つの都市には一つの教会しか存在しない)」というビジョンの基礎が、このメッセージ群に色濃く現れています。
- 宗派(デノミネーション)からの決別: 人間の教理、伝統、カリスマ的指導者の名前(〜派など)によってキリストのからだを不自然に分裂させる「宗派主義」を聖書的ではないと厳しく指摘します。
- 一地方一教会: 聖書(使徒行伝など)に登場する教会は「エペソにある教会」「コリントにある教会」のように、地理的な区切り(都市)だけで区別されていたことを示し、すべての信者がキリストの命の唯一性のもとに一つとなるべきだと語ります。
3. 信者同士の実際の結びつきと「からだの生活」
キリストのからだの一員として、具体的にどのように他の信者と関わるべきかという、コミュニティ内の実践的な教えです。
- 個人的な限界の承認: 自分一人では神のすべての豊かさを表現できないことを認め、他の信者の持つ霊的な賜物や長所を尊重し、受け入れる訓練。
- 愛と赦し、交わりの保持: キリストのからだを傷つける最大の要因である「高慢」「つぶやき」「分裂の霊」を退け、十字架の処理を通して、兄弟姉妹との平和と生きた交わりを維持することの大切さを訴えます。
第5巻における「教会観」の構造
第5巻でニーが提示している、人間の作った教会制度と聖書本来の教会(主の回復)の対比を整理します。
| 領域 | 人間の制度・伝統(宗派) | 聖書が示す本来の姿(からだ) |
|---|---|---|
| 本質 | 組織、制度、聖職者と平信徒の階級制度。 | 唯一の命を共有する生きた有機体(からだ)。 |
| 集まる基準 | 特定の教理の支持、特定の指導者のもと(〜派)。 | その地方(都市)に住むすべての信者が一つとして集まる。 |
| 信者の役割 | 会衆(受け身で礼拝に出席するだけの人々)。 | すべての信者が異なる器官として機能し、互いに供給し合う。 |
第5巻は、ウオッチマン・ニーが「個人の霊性」にとどまっていた当時の中国のクリスチャンたちに、「神の永遠の目標は個人ではなく、キリストのからだ(教会)の建築である」という壮大な神の経済(計画)を目覚めさせた、エポックメイキングな一冊です。
『ウオッチマン・ニー全集』第7巻「クリスチャン(5)」
月刊誌『クリスチャン』シリーズの締めくくりとなる巻が全集一期の第7巻
この第7巻は、これまでの1巻〜4巻(第3〜6巻)で語られてきた
「救いの真理」・「日々の従順」・「教会生活」・「聖書の預言」
というすべてのテーマを網羅しつつ、さらに深い霊的な次元、
すなわち「霊的な戦い(スピリチュアル・ウォーフェア)」と「福音の核心的な輝き」へと信者を導く総括(グランドフィナーレ)の役割を持っています。
以下に、第7巻のさらに詳しい内容をテーマ別に解説します。
1. 霊的な戦い(サタンとの戦い)の本格的な展開
ニーはこの巻で、クリスチャンの歩みが単なる内面の修養ではなく、「背後にいるサタンや悪霊の勢力との宇宙的な戦いである」という視点を強く打ち出します。これは後に彼の霊戦論の名著『座す・歩む・立つ』へと結実していく重要な教えです。
- サタンの戦略を見破る: サタンがどのように信者の思い(マインド)に偽りや疑いを吹き込み、神との交わりを妨害してくるかを暴きます。
- キリストの勝利に基づく戦い: 私たちが自力でサタンに勝とうとするのではなく、すでに十字架でキリストがサタンの頭を砕き、勝利されたという「完了した事実」の上に立って戦う(宣言する)ことの重要性を説きます。
2. 福音の核心の再提示と「奉献(ほうけん)」
雑誌『クリスチャン』の後半や増刊号に掲載されたメッセージとして、まだ信仰が曖昧な人々や、救われてもなお古い生活にとどまっている信者に向けて、強烈な動機づけを行います。
- 命の福音: 単に罪の許しを得るだけでなく、キリストの命が自分を完全に支配するという福音の圧倒的な豊かさを語ります。
- 絶対的な奉献: キリストの愛と贖いの価値を真に知った者は、自分の人生、時間、財産のすべてを主の手に委ねる(奉献する)のが当然の結末であると迫ります。
3. 信者の成熟と「勝利者」への励ましの総括
第3巻から続いてきた若き日のニーのメッセージの集大成として、「終わりの時代に、神がどのような信者を求めているか」が最終的に要約されています。
- 患難に立ち向かう霊性: 世がますます暗くなり、教会の多くが形式化していく中で、神の御言葉にどこまでも忠実であり続ける「少数の勝利者(オーバーカマー)」を神は探しておられるというメッセージが、全編を通じて響き渡ります。
『クリスチャン』シリーズ(全5冊)の霊的成長プロセスの総括
第3巻から第7巻にわたる『クリスチャン』シリーズが、信者をどのように成長させようとしたのか、その全体像を整理します。
| 全集の巻数 | タイトル | 信者の成長のステップ(ニーが導こうとしたプロセス) |
|---|---|---|
| 第3巻 | クリスチャン (1) | 【誕生】 救いの確信を得て、新しく生まれた事実を強固にする。 |
| 第4巻 | クリスチャン (2) | 【歩み】 日常生活で神と交わり、十字架の従順を学ぶ。 |
| 第5巻 | クリスチャン (3) | 【共同体】 個人主義を脱却し、キリストのからだ(教会)として生きる。 |
| 第6巻 | クリスチャン (4) | 【視点】 神の終末のタイムライン(預言)を知り、目を覚ます。 |
| 第7巻 | クリスチャン (5) | 【戦いと総括】 サタンに勝利し、すべてを主に捧げて「勝利者」として立つ。 |
第7巻は、ウオッチマン・ニーが20代前半から発行し続けた『クリスチャン』誌の情熱のすべてが凝縮されており、信者を「ただ救われた人」から、
「神の終末の計画のために、地上でサタンと戦い、キリストの勝利を表す兵士」へと
仕立て上げるための、力強い総まとめ的内容の本が7巻となり、月刊 クリスチャン 誌シリーズはここまでとなります、全集の次巻のタイトルは、
| 第8巻 | 現在の証し (1) | 「神の永遠の計画」の提示。 キリストの十字架のより深い意味(単なる罪の赦しを超えて、古い人を終わらせること)や、神が宇宙で何を成し遂げようとされているかというマクロな視点が語られます。 |
| 第9巻 | 現在の証し (2) | 「キリストの内に生きる」という主観的経験。 信者が自力で努力するのではなく、自分の内に生きておられるキリスト(復活の命)にすべてを委ねて歩む、内面的な命の法則が中心テーマです。 |
| 第10巻 | 現在の証し (3) | 「神の光と霊的な戦い」。 神の光に照らされることによって己の肉の姿を知り、完全に砕かれる経験。そして、終わりの時代にサタンの権勢に立ち向かう教会の権威について総括されます。 |
と このような本が続いて刊行され 1/2/3期すべてで62冊 ハードカバーで出版されています。
- 第1期:初期の著作(1922年〜1934年)
- 第2期:中期の務め(1935年〜1942年)
- 第3期:後期の務め・訓練記録など(〜1952年)
1冊1冊が、それなりに高額で定価2000~3000円ほどです。
ですから、全部買い求めるとなるとけっこうな出費が予測されます、
また、中期の2期の内容のほうがおそらく親しみやすいかもしれないです

この全集のなかに、生ける水の川やいのちのことば社 などから出版されているソフトカバーの本と同じ内容のことが含まれています、出版時期によって少し訳が違っていて、
ソフトカバー単行本のほうの キリスト者の標準 がとても人気があるようです。

ウオッチマン・ニー 全集 第一期
全集の 一期・二期・三期のうち
第一期は 1~20のナンバリングとなる、11巻以降は
- 第11巻:現在の証し(4)
- 第12巻:霊の人(1)
- 第13巻:霊の人(2)
- 第14巻:霊の人(3)
- 第15巻:マタイによる福音書の学び
- 第16巻:啓示録の学び
- 第17巻:メッセージ記録(1)
- 第18巻:メッセージ記録(2)
- 第19巻:メッセージ記録(3)
- 第20巻:福音真理問答
11まで現在の証しのシリーズが続いている、
12・13・14が 霊の人シリーズ
そしてもう一つのシリーズが、17・18・19 の メッセージ記録シリーズ です。
15・16の概要は
15巻:マタイによる福音書の学び
マタイによる福音書を1章から25章を中心に詳細に解説した書です。
- 天の御国の解き明かし:マタイの最大の特徴である「天の御国(神の国)」の性質やその基準、そして王としてのイエス・キリストの型を深く追求しています。
- 携え上げ(ラプチャー)の時期の考察:クリスチャンの間で議論となる「携え上げ」の時期について、聖書的な観点から「患難前説」や「患難後説」などの諸説を比較・検討し、部分的な携え上げについての見解などを提示しています。
16巻:啓示録の学び
新約聖書の結論であり、預言の書である「ヨハネの黙示録(啓示録)」を詳細に解説した終末論に関する重要な書です。
- 神の永遠の経綸の完成:創世記から始まる聖書の壮大なストーリーが、どのように啓示録で完結(新天新地、新エルサレム)するのかを解き明かします。
- 教会の歩みと神の裁き:アジアの7つの教会へのメッセージから始まり、終末における大患難、反キリストの出現、神の裁き、そしてキリストの千年王国にいたる預言的なタイムラインを、霊的な深い洞察をもって解説しています。
第一期 の 最後20冊目は
– 福音問題 - Questions on the Gospel の復刻再販
『福音真理問答(原題:福音問題)』の初版が出版されたのは1934年とされ、細かな年月日は少し諸説あるらしい よくある Q&Aのようなもので この巻いぜんの 1~19に書かれたことのおさらいと補足の役割で締めくくりの 20冊目に配置しているものとおもわれます。
日本語版(翻訳版)は1996年にJGW日本福音書房 から出版
福音問題(20)の 概要
- 1934年の初版:ウオッチマン・ニーが、信者が人々に正しく福音を伝えるための手引き(装備)として、よくある50の質問と回答をまとめた小冊子を発行しました。
- 全集への復刻:彼の膨大な著作をまとめた全集(全62巻)が作られる際、
- この貴重な書が「第20巻」としてそのまま収録されました。
難解な教理ではなく
「救い」に関するきわめて実践的なQ&Aで構成されています。
- 律法と恵みの違い、キリストの血による贖い
- 罪、赦し、義認(義とされること)、救いの確信
- 「一度救われたら、その救いは失われないのか」といった信仰の疑問
単なる講話集ではないもの
著者が若き宣教の時代に心血を注いで著した「福音の解説書」を
いつでも読めるように編纂したもの。


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